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型破りの「福祉映画」

2019年2月27日

「こんな夜更けにバナナかよ」

 そっと小声で舌打ちをしながらこうぼやく若いボランティア。自力で体を動かすことすらできない重度障害者の訴えに、なんという暴言!…

 

 この型破りの福祉映画は、そのタイトルどうりのホンネの吐露から始まる。午前2時という深夜に、24時間体制で重度障害者のケアを担うボランティアに、

「バナナが食べたい。買ってきてくれ」

と依頼する。いや「命令」に近い。

「えっ!マジ?」

と言い返したい感情をぐっと飲み込んで、彼女は深夜の街へバナナを求めて飛び出して行った。

私は仕事柄、施設入所者からこんな注文を出された夜勤職員ならどう対応するだろう?と想像してみた。心の中で、

「ふざけるんじゃない!」

と毒づきたい感情をグッと抑えつつ、

「朝になってからにしませんか。体にも良くないし…」

なんてつくり笑顔を浮かべて、“わがまま”な要求をやんわりしりぞけようと試みるだろうか。

 

 いわゆる福祉映画は、涙なくしては見られない美談、もしくは社会の不条理を告発し闘う人を描く感動ドラマ、というのが定番だ。ところがこの思い込みは見事に外れる。重度障害者の日常生活を支える活動も、“けなげで純真な障害者”と“善良で善意のボランティア”の美しい関係の世界と思いきや、“わがままな障害者”を前に、とまどいと葛藤、そして反感を隠さない若者たちのホンネのぶつかりあいのドラマに驚く。

 

 お説教ぬきのコメディー風に仕上げられてはいるが、さりげなく、システムとしての福祉や医療への批判も込められている。

 

 実在の人物として登場する筋ジストロフィー患者の鹿野晴明さんは、病院での医療の管理下に置かれる生活を拒否し、何事が起ころうと自分の責任と周囲を説き伏せ、地域での生活を強行したのだ。障害者自立支援法施行前で、24時間ヘルパー体制が認められていなかった事情もあり、切れ目なくケアを維持するには大量のボランティアの確保と動員も必要だった。型破りの当事者の人並み外れた行動力、人を惹きつける魅力あるキャラクターが相まって“事実は小説よりも奇なる”物語が生まれた。

 

 同名の原作の著者は、渡辺一史(1968年生まれ)という北海道に住むノンフィクション作家。獣医を志したが道半ばで挫折、ライターに転身したという経歴の人。私はたまたま早い目ざめの寝床の中で、ラジオ番組(ラジオ深夜便)で渡辺氏のインタビューを聴いた(1月26日早朝)。その翌日、早速映画館に足を運んだ。インタビューでは、映画化作品について、ここが原作とは違う、といった特段のコメントはなかったので、自らも鹿野さんのボランティアチームの一員でもあったという原作者の意図は、ほぼ正確に映像化されたのだろう。

 

 2003年に出版された原作『こんな夜更けにバナナかよ 筋ジス・鹿野晴明とボランティア』(北海道新聞社、のち文春文庫)は、大宅壮一ノンフィクション賞、講談社ノンフィクション賞をダブル受賞している。遅筆を自認する著者の2作目が『北の無人駅から』(北海道新聞社、2011年)、3作目が『なぜ人と人は支え合うのか 「障害」から考える』(ちくまフリー新書、2018年)である。

 

 冬晴れではあったが寒風の吹き抜ける日曜日の午後だった。主な出演者がおなじみの俳優とあって、観客には若い人も目立った。

 

(法澤 奉典・のりざわ とものり)

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