本文へジャンプします

スマホやめますか、それとも…

2015年5月16日

テレビ放送が始まったのは1953(昭和28)年。それから5年かかって山陰地方の港町でも受信可能になった。テレビがわが家に来るまでには、それからさらに2年かかった。

テレビの出現がどれだけ庶民の生活に影響をもたらしたか。それは私と同世代の人たちならだれもが身に覚えのあることだ。物心がついたら既にテレビがあった人には、その衝撃は想像できないだろう。大げさに言えば、日本中がテレビのとりこになった。「テレビばかり見ていると、アタマが悪くなるぞ」と言いながら、大人たちも家へ帰ればまずテレビのスイッチを入れるのが常だった。

子どもの成長に影響を与える環境要因はいくつもあるが、体験から言えば、われわれの世代では何と言ってもテレビの登場は大きかった。そして、今日にあってそれに匹敵するのは、どうやら「スマホ」になろうとしているらしい。アナログ派を自認する私には物知り顔でそれを語る資格はない。だがこんな報道に、あのころ「アタマが悪くなるぞ」と警告されたテレビの功罪をめぐるあれこれを思い出さずにはいられなかった。

4月4日に行われた信州大学の入学式で、山沢清人学長はこうあいさつした。

「スマホやめますか、それとも信大生やめますか」

そして、「スマホ依存症は、知性、個性、独創性にとって毒以外の何物でもありません」と言い切った。この言葉を聞いて、連想されるキャッチ・コピーがある。

「覚せい剤やめますか、人間やめますか」

繰り返し流れてきたこのコマーシャルはなかなかインパクトがあり、覚せい剤の恐ろしさを伝えるには説得力もあった。若者に対して、危険な誘惑の前でブレーキをかけ、代償の大きさを考えさせる抑止効果のねらいは十分に発揮された。

人格形成のうえでマイナスになることに対して、それとの関係を清算しないと、せっかく入った大学にいる価値がないとか、人間としての存在を否定されるとなれば深刻な問題だ。テレビ・スマホ・覚せい剤…それらは手軽に人を快楽の世界に導き、夢中にさせる。それらにハマってしまったら最後、その誘惑に打ち克つのには大変な意志と努力が必要だ。

“体に毒”の覚せい剤は論外として、スマホに代表されるIT機器の弊害を警告する識者は少なくない。テレビに関して言えば「一億総白痴化」(今日では不適切表現にあたるが)という大宅壮一の言葉が流行したのは、テレビ草創期の1957年。大宅は、テレビは低俗で、人間から思考力や創造力を奪うとした。信州大学の山沢学長も「自らで考えることにじっくり時間をかけること、そして時間的にも心理的にもゆったりすることが最も大切となります」と新入生に言い、「(スマホの)スイッチを切って、本を読みましょう」と呼びかけたのであった。個性的で創造性豊かな人材を生んできた信州大学の風土を壊しかねないものとして、スマホの弊害を警告したのである。

自分がやらない(やれない)からといって、われわれの職場の若者たちに、

「スマホやめますか、愛光やめますか」

とまで言うつもりはない。山沢学長の言葉は、何も大学生にだけあてはまることではないと思ったが、せめて、たまには「スマホのスイッチを切って、本を読もう」というくだりは若い人たちに私も言いたいところだ。さんざん誘惑に負けて、「テレビのスイッチを切って、本を読みましょう」という助言を実行できなかった私である。その痛切な後悔を感じているからこそ、そう言える。

(法澤 奉典・のりざわ とものり)

ページトップに戻る