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わが家の「明治150年」

2018年5月18日

 私のおじいさん、おばあさんは江戸時代の人です、と言えば「まさか?」と驚かれるだろう。父方の祖父は安政元(1855)年、祖母は文久 3(1863)年生まれである。その祖父母から父は明治 36(1903)年に生まれ、そして私が昭和 22(1947)年に生まれたと説明すれば納得していただけようか。
 祖父は、鳥羽伏見の戦いに始まる明治維新の年、1868 年(慶応4年・明治元年)は満13 歳である。現在の名古屋市近郊の農家の長男として生まれている。もしかしたら、錦の御旗を押し立てて江戸を目指してする官軍の隊列なども目撃したかもしれない。そんな想像にもかき立てられて、「今年は明治 150年」と聞くと、私は誰にも増してそ れを身近に感じる。祖父から直接一家の変遷を聞いたわけではないが、断片的に残る記録から、明治~大正~昭和~平成と続いてきた“わが家の歴史ドラマ”の再現に興味もわくのである。
 農家の長男に生まれた祖父は、まさにその明治元年、突然京都の寺で得度(出家)した。13 歳の少年の身の上に何がおこったのだろうか。それはいまも謎である。「御一新」という言葉が今も伝えられている。武士も庶民もチョンマゲを切って、“ご破算で願いましては”の文明開化の世の中の到来である。まるでそのタイミングに合わせるかのような祖父の人生の転機だった。…こんな調子で150 年をたどれば本当の大河ドラマになってしまう。この先は少々端折る。祖父の生きた時代、自由律の俳人・種田山頭火(1882~1940)のような各地を放浪する修行僧の姿も珍しくなかったのかもしれない。山頭火のような孤独な旅ではなかったが、京都を振り出しに、滋賀県、三重県などの寺々の住職を務め、その間に家族も増えて、62 歳の大正5(1916)年、私の故郷である山陰の旧城下町の寺に入る。

 それから(昭和 17)年に没するまでの祖父の晩年は、日本が戦争への道をたどる時期だ。ところで、今でこそ住職は家業のごとく世 襲が当然のようにみられている。しかしキリ スト教の教会同様、本来寺院は布教活動の拠 点であり、地域住民が信仰の祈りを捧げるた めに集う場所である。宗教法人でもあるので、住職の一族が相続していく私有財産でも家業でもなく、あえていえば本山からの辞令を携えて赴く「任地」に過ぎない。そうした意味で各地の寺を転々とした祖父からは、古い時代の出家者としての姿がしのばれる。
 私は住職の家庭に生まれ、寺の本堂に安置されている阿弥陀如来像を見ながら育った。その寺では中学生までを過ごしただけなの で、71 歳になろうとしている私の半生の4分の1にも満たない。しかし人並みに年齢と共に望郷の念は募る。私の場合それは「寺」という、一般家庭とは異なる独特の空間と結びついている。五男四女という子沢山の末子という事情もあって、私は将来僧侶になるべく教育されることもなく育ち、その寺は祖父から父へ、そして私の兄へと継承されてきた。ところが昨年、寺を継いだ 10 歳上の兄が高齢により住職の務めを果たすことに限界を感じ辞職する決心をした。だが兄の子を含めて親族中に後継者として名乗り出る者はいなかった。ついに祖父から引き継がれてきた寺を明け渡すしかなくなってしまった。その知らせを聞いて、昨年秋、最後に一目見ておこうと生家の寺を訪れた。祖父母も父母も、境内の一角に眠っている。そして今年 1 月、正式に引き継ぎを終えたと姪が伝えてきた。
 何やら“わが家の明治 150 年”のドラマの最終回が終わったような気がした。
(法澤   奉典・のりざわ   とものり)

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