本文へジャンプします

たかが世間ばなしですが…

2018年7月19日

さんざんけなしておいて、思わぬ成果を見せられて態度豹変(ひょうへん)。いわゆる“手のひらがえし”である。つめたいかと思えばあたたかくもなる「人の心」。

ワールドカップ・サッカーのことである。私はサッカーそのものにあまり関心がないのだが、これほどマスコミやネットの世界で大騒ぎしていると、つい耳にも入ってくるし、それは社会現象として気になる。新聞のコラムも、さっそくとりあげていた。コラムニストが注目したのは、やはり世論の豹変ぶりだった。その落差の激しさをこんなふうにたとえていた。

落語に『火焔太鼓(かえんだいこ)』というのがある。古道具屋が火事場から拾ってきた汚い太鼓の話である。おかみさんはそんなものが売れるはずがないと叱る。

「どうしておまえさんはものが分からないのかねえ」

ところがさる大名にその太鼓が300両で売れる。お金を目の前にしたこのおかみさんの変わり身の早さがおかしい。

「あらあ、おまえさんは商売が上手」

これは東京新聞の『筆洗』の記事(6/26)。

開幕前の日本代表チームは、成績不振や監督交代など、評判は最低・最悪だった。期待も低調で熱は冷え切っているかのようだった。火焔太鼓が高値で売れる前のおかみさんの態度と同じだ。売り物にならないものばかり仕入れてきて、どうみても商売下手の亭主に愛想がついていた。

別のコラムはこうだ。

<いじわるな上司、クレームを言い立てる客、隣人を見下すママ友……。そういう理不尽を撃退した出来事を紹介し、スカッとした度合いを測るテレビ番組がある。それまで人を小バカにしていた相手が、こちらの実力を知ったときの狼狽(ろうばい)ぶりなど「スカッと度」最高だ/……(予想外の結果に)一転、西野朗監督の「神采配」をたたえ、本田圭佑選手を「大明神」とあがめる。手のひら返しの見本というべきか/だからその逆の現象も起きうるのがニッポン社会の怖さである。バッシングと賛嘆はどうやら紙一重なのだ>(6/26、日経新聞『春秋』)

“たかがサッカーばなし”には続きがあった。予選リーグポーランド戦の終盤、日本代表チームは1点負けながら時間稼ぎのパス回しを続けた。結果的にはそれが功を奏して決勝リーグ進出を果たした。しかしフェアプレーをかなぐり捨てた戦いぶりともみえた。

今度は落語やテレビ番組ではすまなくなった。なんと持ち出されたのは武士道。

かの宮本武蔵が巌流島の決闘にわざと遅れたというあの逸話である。「命がけの武蔵の兵法が、後の世の剣術の美学と違うのも当然だろう」とは、この奇策が武蔵の戦法に通ずると言いたいようだ(6/30、毎日新聞「余録」)。

肯定派にこういう見方もあった。「これまで日本はスポーツでも外交でも、正攻法にこだわり過ぎたきらいがある。その意味では日本社会の成熟の表れとも言えよう」(6/30、産経新聞「産経抄」)

これはやや“大人の世界”の話になり過ぎているように思える。サッカーにしろ野球にしろ、子どもたちに人気のスポーツだ。学校では教育の一環として行われているから、「フェアプレー」「正々堂々」の精神が大事と教える。子どもから、「ああいうのはいいの?」と聞かれたらどう答えるのだろう。

そうはいっても決勝リーグ進出はめでたい。オトナたちはこんなところでお茶を濁す。

<日本のファンの間でも甲論乙駁(こうろんおつばく)があろう成り行きだが、W杯大会でこんな論議ができるのも幸せのうちというべきか。次は堂々たるベスト8入りによってサムライブルーの真価を世界に示してほしい>(6/30、毎日新聞「余録」)

(法澤 奉典・のりざわ とものり)

ページトップに戻る