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三代目燈台守

「人財は一日にして成らず」(辞令交付にあたって)

天威無法(てんいむほう)

一松懸命(いっしょうけんめい)

電考節夏(でんこうせっか)

パソコン入力時の変換ミスではない。2011年度「創作四字熟語」(住友生命主催)の優秀作である。忘れもせぬ東日本大震災を、巧みに漢字4文字に織り込んでいる。自然の脅威は、人間社会のルールをも呑み込んでしまった。そんな圧倒的な津波の力の前で、海岸でけなげに踏ん張った1本の松の木が話題になった。そして停電するぞと脅されて、灯りを消し、エアコンを我慢して、原発依存の日常を考えさせられた猛暑の夏だった。

当世流に言えば、この四字熟語はパクリであり「創作」とは言えまい。だがそれはともかく、説明をするまでもなく、震災の年を知る者の胸を刺し、記憶を呼び覚ます「新名言」に仕上がっている。そう言えば、

「人財育成元年~玉磨かずば光なし~」

社会福祉法人愛光2012年度スローガンにある「人財育成(じんざいいくせい)」もまた「創作四字熟語」である。誰が考えついて使い始めたかは知らない。モノを作り、モノを売る会社といえども、つまるところ、それを担うのは「人」である。つまり事業発展の成否は人次第とみることができる。ましてや社会福祉事業のように、人の営みそのものが「商品」であれば、最も貴重な財産とは、、資金でも施設でもない。「人」なのである。そういう意味で、まさにマンパワーを「財(たから)」と表現することは「言いえて妙」である。

そしてスローガンで言っているように、

「人財は一日にして成らず」

なのである。人材とは原石であり、丹念に研磨しないと光り輝く宝石にはならない。これも人を育てることのたとえ話としてご存知だと思う。言い換えれば新しい人材が「アマチュアからプロへ」と成長する(させる)ためには手間隙かかるということだ。では福祉におけるプロとは何であり、アマチュアと何が違うのだろう?

一応そう呼ばれる(つまりカッコ付きの)「福祉のプロ」は、世の中に多数存在している。しかし残念ながら、

「本当にプロと言えるのだろうか?」

と疑念を抱かせるような職員がいる。仕事に習熟し、経験を積んで、知識や技術も備わっている。あえて言うなら、

「いいトシをして…」

と思わず言いたくなるような振る舞いを時折見かけるのである。

適当な比較ではないかもしれないが、人気のある芸能人が、麻薬に手を染めたり、世間を騒がすトラブルを起こす事件をよく聞く。彼(彼女)は、歌や芝居が上手という“その道のプロ”ではあっても、一人の社会人としてはアマチュアだとされても仕方がないのである。

同様に、福祉の世界で「プロ」とは、お年寄りや障害をもつ人とうまく接することができればそれでいいのか、ということである。挨拶ができない、電話の応対がなっていない、敬語とため口(仲間どうしの話し方)の使い分けができない…「家族が世話になっているのだから」と大目に見られるような環境に甘えていたら、ちやほやされ、特別視されて社会人落第の芸能人と同じになる。

職業を定めたら、誰もがその道のプロを目指す。愛光でも、新任職員に対して、先輩職員はその手ほどきをお手伝いする。ぜひとも、教える側も教えられる側も忘れないで欲しい。それは愛光の職員として何を身につけるかということ、それだけで「福祉のプロ」とは言えないということである。

必要なのは、社会人、組織人としても「プロ」と呼ばれるために、自分は何を身につけるか、なのである。

(法澤 奉典・のりざわ とものり) 

田ヶ谷雅夫「福祉のこころ」(中)

1世代とはおよそ30年、とするのが定説のようである。われわれの前の世代、すなわち親世代はほぼ大正生まれにあたる。戦争を生き残り、戦後復興の担い手となり、今日につながる社会の土台を創ったのもかれらである。現場人で福祉の世界に最も強い影響を与えたその世代の代表格として、糸賀一雄(1914~1968)の名を挙げることができる。業績については別のところでふれているのでここでは省くが、一言で言えば、その人は福祉に哲学を遺した。

近刊本「福祉のこころ~私の「白鳥の歌」~」の著者・田ケ谷雅夫さんは1931年生まれだから、糸賀さんと私(1947年生まれ)のほぼ中間の“昭和ひとケタ”世代で、少年少女期が戦時中にあたる方だ。田ケ谷さんの師匠・菅修(かんおさむ)(1901~1978)さんは、糸賀さんよりさらに年長で、「治療教育」を紹介した知的障害分野の重鎮であった。つまり、田ケ谷さんは、菅さんや糸賀さんらによって切り拓かれた世界に肉を付け、血を通わせた世代になる。その実践の舞台に土足で踏み込んで来たのが戦後生まれのわが世代であった。

「土足で踏み込んだ」とは穏やかではないが、あの頃、学園紛争の空気をそのまま現場に持ち込んで、あちこちで施設長と悶着を起こしていた。田ケ谷さんが管理職を務める山梨県立育精福祉センターからも、そんな情報は届いていた。当時をどんな風に回想しておられるか、興味津々で読み進んだ。

団塊世代が主役の学生運動では「大学解体」がスローガンのひとつだった。福祉の現場で「施設解体」を叫ぶと、こう受けとられた。

「極端で無責任な『居住施設解体論』などに耳を貸す必要はない。居住施設の適切な利用は障害をもつ人々の生涯の中で、必要な時に必要なサービスを提供するひとつの場」であると、田ケ谷さんはいわば「施設擁護論」を力説する(85頁)。別の所では、浅野史郎さんにも批判のホコ先が向けられている。

宮城県知事当時「平成14年11月に『船形コロニー解体宣言』、平成16年2月に『みやぎ知的障害者施設解体宣言』を出して、重大ミスを犯した。彼は自著の中で、施設解体は福祉の『明快な哲学』だと表現しているが、ちょっとカッコよすぎる。私に言わせれば、それは『哲学』ではなく、『感情論』に過ぎない。その宣言からもう8年以上経ち、浅野さんが平成17年に宮城県知事を退職してしまった現在、果たして宮城県では居住施設が本当に『解体』されているだろうか」(194頁)

浅野さんも1948年生まれの団塊世代。浅野さんは厚生省の障害福祉課長時代、障害者グループホーム制度創設の立役者となった人物でもある。その点に注文をつける。

「各地の大規模コロニーが、地域にグループホームをたくさん作ってそこへ施設利用者をこれだけ送り込んでいる、と得々として発表したりしているが、実はコロニーを解体したのではなく、ただ本来グループホームで生活できる、施設にいなくても大丈夫なような人たちを、長年大規模コロニーに留め置いていたのに過ぎないのではないか」(193頁)

私の見るところでは、どうやら「解体」という用語が、浅野さんや私より少し上の世代の現場人の琴線に触れたようだ。言い訳めくが、言語感覚としては、施設の世界にノーマライゼーションを実現しようというのとほぼ同じ意味で「解体」という言葉を使っていたのがわれわれだった。

しかし田ケ谷さんの怒りは収まらない。“哲学なき施設解体論”が、今日の荒廃した状況に手を貸しているとでも言いたげなのである。本書の副題「白鳥の歌」がなぜか悲しい響きに聞こえる。次回は田ケ谷さんの言い分にもう少し耳を傾けたいと思う。

(法澤 奉典・のりざわ とものり)